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42歳、AppleとlifeHackと人生と・・・

lifehacker.jpライター。happy-applelife管理人。僕の行動でちょっとでも世の中をよくすることができたら、ちょっとでも誰かHappyにすることができたらうれしいです。




効率化の中に潜む無駄が、無駄でないことに気がついた。

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中二病的でかなり恥ずかしいのですが、中学生の頃から自己啓発的な本をよく読んでいました。

吉川英治三國志をきっかけに、諸葛孔明の戦略について書かれた本や孫子兵法書の解説本、右脳を鍛える的な本など・・・(三笠書房の本が定番でした(笑))

また麻雀を覚えたことをきっかけに阿佐田哲也に傾倒し、氏の本を読んでいく中でアウトローな生き方に憧れて、自分はギャンブラーになって世捨て人のような生き方をするんだ、とか思っていました。

「運」に関する本もよく読んでいました。

いや、39歳の今、こう書いていても恥ずかしいな。

 

で、20代、30代になっても根本的なところはあまり変わっていなくて、いかにして自分を高めるか、いかに効率化して無駄なくこなすかを綴った仕事術やライフハック本など読み漁るようになりました。

 

そこから得た知識は決して無駄ではなくて、20代後半から30代半ばにかけて、仕事が楽してくて仕方なかった時期と重なって仕事と知識が合致して、まあ客観的にみたらそれなりに出世することもできたんじゃないかと思います。

 

でも、会社の規模が大きくなって、部下ができるようになって自分の会社におけるスタンスが、プレイヤーからマネージャーに変わるにつれて、今までの働き方が通用しなくなりました。

今まで働き方は、いかに自分というものを鍛え上げ、いかに自分ができることを効率よくやって、ベストな結果をだすかというものでした。

つまりはいかに自分自身のスキルを上げて成長させていくかでした。

そのためには、仕事術やライフハック本を読みあさったことは自分のスキルアップに役立ち、そのまま仕事の結果となって返ってきていました。

 

プレイヤーだった時はそれで仕事がまわっていましたし、結果がついてきました。勉強すれば自分の役に立つし、自分のスキルが上がることに喜びを感じていました。

 

それがマネージャーになることで仕事のやり方がガラリと変わりました。

大きな違いは、自分を成長させるのではなく、他人を成長させることに仕事内容がシフトしたことでした。

これには戸惑いました。なにせ今まで自分のスキルアップにしか興味がなく、他人を育てるなんてことにはいっさい気を使ってこなかったんですから。

さらには、小さい頃からリーダーシップを発揮してきたことがなかったことも、輪をかけて僕を戸惑わせました。人の輪の中心にいることはありませんでしたし、人を引っ張っていくようなこともしたことがありません。

 

当初はマネージャー専任ではなく、プレイヤーでもありマネージャーでもある、いわば監督しつつ捕手もしていたヤクルトの古田のような、プレイングマネージャーでしたので、大きな負担がのしかかってきました。

プレイングマネージャーとはいえ、実質は日々の仕事に追われるプレイヤーで、忙しさのなかで一日一日があっという間に過ぎていくような日々でした。

それはマネージャーとしての仕事がどうすればいいのかわからず、プレイヤーの仕事に逃げていたのかもしれません。

 

プレイヤー時代は、仕事術やライフハック本を読んで、効率化を最大限まで高めて仕事に結果を出しました。

それは効率化することで時間を短縮し、生まれた時間で別の仕事をするというようなものでした。また仕事が楽しい時期だったので、どんどん新しい仕事を生み出し、自分では抱えきれない量になっていたにも関わらず、自分の時間を削って残業することで、自分ひとりでその仕事をやり遂げようとしていました。

そんな忙しさでしたが、仕事が楽しくもあって自分の時間が削っていること、疲れも気になりませんでした。

忙しい自分に酔っていたのかもしれません。

 

 

あれからいろいろあって、39歳の今、仕事の内容が変わり、いちプレイヤーとして働いていますが、効率だけをもとめていた以前とは違った働き方をするようになりました。

効率化のなかで失っていた心の余裕というものを、もっと重要視して働くようになりました。

 

心の余裕を持つことで、視野が広がり、周りの人に気を使う余裕ができ、常に時間に追われて生きていた頃とは違って、非効率ではあるけれどそれもまたいいんじゃないかと思えるようになりました。

 

効率化を求め、ある程度結果がついてくるともっともっと効率化を求めだし、もっともっと仕事をしようとしだし、忙しいそんな自分がまた気持ちよかったりして、行きすぎてしまう。

その先にあるのは・・・

 

 

今は効率化もいいけれど、行きすぎないようにして、非効率な部分も残しつつ余裕、あそびを持ちつつ生きるように気をつけています。

今でも、油断すると効率化しようとしている自分がいますが、行きすぎないように注意し、ゆっくりと進むように修正を心がけています。

 

以前の僕から見たら、日和ったなと思うかもしれません。

でもまあ、それもいいんじゃないかなあなんて思える、今の自分がいます。

効率化によって得たもの失ったもの、いっぱいあります。ある意味、行き過ぎたからこそ非効率の良さに気がついたのかもしれません。

すべてのことは意味があって、効率化によって省かれた無駄のように思えたものにも、必要なものがあったのでしょう。

 

やっと、僕はそれに気がついたのかもしれません。