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42歳、AppleとlifeHackと人生と・・・

lifehacker.jpライター。happy-applelife管理人。僕の行動でちょっとでも世の中をよくすることができたら、ちょっとでも誰かHappyにすることができたらうれしいです。




人見知り、無口であること

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僕は、自他ともに認める、人見知りで無口です。

いつからだろう、考えてみると小学校の頃にはすでにそうだったんじゃないだろうか。

その性格が災いして、自分からアクションを起こして友だちになったということはなかったんじゃないかと思う。

どうも、人の輪に入っていったり、自分が中心となって何かを始める、ということができない子供でした。

 

39歳の今も基本的なところは変わっていなくて、とはいえ仕事に支障がない程度にコミュニケーションはとるように意識しているし、年齢的にリーダー的な役割を担うことがあります。

でも、リーダーとして後輩をまとめたり、中心にいたりすることがものすごく苦手意識があって、できればやりたくないというのが正直な気持ち。自分でいいのかなという意識がずっと、心の奥底にあって、全く自信を持てない。

幸いにも、仕事では周りが僕を立ててくれていることもあって、なんとかリーダーとしての役割を演じてはいるけど、ホントは苦しみながら、自分を奮い立たせている。

思えば、こどものころからそういうリーダー的な位置になったことがないし、協調性がなくて、人が遊んでいる輪に入っていくことができなかったんだよね。

 

ある時、クラスの男子の僕以外がいっしょにサッカーかなんかをしたことがあって、僕はそこにはいれなかったこと、誘われなかったことがコンプレックスとして、未だに心の傷としてあります。

またある時は、クラスのこどもとその親で何かレクリエーションをするイベントがあったんだけど、僕は誰ともいっしょになって何かをすることができず、ぽつんとしていました。家に帰った後、母親から「他のお母さんから「あのぽつんとした子どこの子だろうね?」といわれて、恥ずかしくて何も言えなかった」と言われ、ああ僕は親にとって恥ずかしい子供なんだと思い、人の輪に入れないことが悪いことなんだという認識するようになりました。

30年近くたった今でも、それは思い出したくない辛い記憶です。

 

子供の頃は、そんな自分の性格が辛く、でもどうしたらいいのかわからない。それで余計人見知りになり、無口になっていく悪循環でした。

でも、39年も経つと、人見知り、無口である自分も、まあしょうがないかなとどこかで受け入れられるようになってきました。

きっかけは大学かな。大学は、人見知りで無口な僕でも受け入れてくれる土壌があって、そんな僕でも存在してていいんだと思えるようになったこと。否定し続けてきた自分を、少し肯定することができるようになりました。

それから社会にでて、務めた会社は小さなところだったので、必然と他スタッフと仲良くなって、人見知りで無口な僕でも、コミュニケーションがとることができました。

 

大学、社会といろんな経験を積むことで、知恵や知識を蓄え、ありのままの自分を少し受け入れられるようになった気がします。とはいえ、積極的で社交的な性格になったわけではなく、相変わらず人見知りで無口な人と認識はされているけれど、そんな自分でもいいじゃないか、と思えます。

コミュ力が高い人をみると、羨ましさと尊敬を覚えてしまうんですが、かといってそうはなれそうにない自分がいます。

 

もっと歳をとれば、人見知り、無口である自分を、また違ったカタチで受け入れられるようになるのかなあ。

でもまあ、そんな自分を受け入れ、受け止め、付き合っていくしかないのだけれどね。